上司のひとこと、朝の電車の遅れ、来週の天気。自分ではどうにもならないことに、丸一日ふりまわされてしまった――そんな日はありませんか。わたしはわりと、あります。
リベシティの読書会で発表する本を探していたときに手に取ったのが、この『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』でした。「奴隷の哲学者」というタイトルが気になって、なんとなくページをめくったのがきっかけです。
結論から言うと、本書が言っていることはとてもシンプルです。「自分次第であるもの」と「自分次第でないもの」を分けて、後者は軽く見る。それだけ。でも、この「それだけ」が、読んだあとの心の重さをずいぶん変えてくれました。
この記事では、まんが+解説で読める入門書としての中身、心に残った3つの言葉、そして「ここは気をつけたい」と感じた点まで、正直に書いていきます。
どんな本? まんが+解説で読める、ストア哲学の入門書
まずは基本情報から。哲学書というと身構えてしまいますが、この本はまんがと、やさしい解説の組み合わせでできています。
| 書名 | 奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業 この生きづらい世の中で「よく生きる」ために |
| 著者 | 荻野弘之(解説)/かおり&ゆかり(まんが) |
| 出版社 | ダイヤモンド社 |
| 発行 | 2019年9月 |
| ページ数 | 248ページ |
| 定価 | 1,540円(本体1,400円+税10%) |
| ISBN | 978-4-478-10137-7 |
中身は4部構成です。第1部で「認識を正す」、第2部で「感情の奴隷から脱する」、第3部で「人間関係のしがらみから自由になる」、第4部で「真に成長し、よく生きる」。各部にエピクテトスの言葉が数本ずつ並び、それぞれにまんが→解説という流れがついています。
まんがは、現代の会社員や学生が主人公。「あるある」な悩みが描かれたあとに、「エピクテトスならこう言う」という解説が入るので、自分の生活に置き換えたまま読み進められるのがいいところでした。哲学用語をおぼえる必要はありません。
そして地味にうれしいのが、巻末に『提要(ていよう)』の原文訳がまとめて載っていること。『提要』はエピクテトスの教えを短くまとめた古典で、これ自体は数十ページの短いものです。本編で気に入った言葉を、あとから原典の訳で読み返せる作りになっています。
解説を書いているのは、上智大学文学部哲学科教授の荻野弘之さん。西洋古代哲学が専門で、『マルクス・アウレリウス『自省録』――精神の城塞』(岩波書店)などの著書がある方です。まんが本ではありますが、解説の中身は専門家によるものだと思って読んで大丈夫です。
エピクテトスってどんな人? 奴隷から始まった哲学者
本を読む前、わたしはエピクテトスという名前すら知りませんでした。調べてみると、この人の人生そのものが、なかなかの内容でした。
- 紀元50年代、小アジア(いまのトルコ)のヒエラポリスという町に生まれる
- 人生の一時期を、ローマで奴隷として過ごす。主人はネロ帝の宮廷の高官エパフロディトス
- 奴隷の身のまま、ストア派の哲学者ムソニウス・ルフスのもとで学ぶ
- のちに解放され、ローマで教え始める
- 紀元89年、ドミティアヌス帝の「哲学者追放令」でイタリアを追われる
- ギリシャ北西部のニコポリスに移り、自分の学園を開いて、135年ごろまで教え続けた
さらに言うと、エピクテトスは足が不自由でした。関節炎だったとも、奴隷時代の暴力によるものだとも言われています。生涯結婚せず、晩年には、親が育てられない子どもを引き取って育てたという話も残っています。
そしてもうひとつ意外だったのが、エピクテトス本人は、一冊も本を書いていないということ。いま残っている『語録』や『提要』は、弟子のアッリアノスが講義の内容を書き取ったものです。ソクラテスと同じパターンですね。
この経歴を知ってから読むと、言葉の重さがぜんぜん違ってきます。「自分ではどうにもならないことがある」を、この人は理屈ではなく人生で知っている。身分も、体も、住む場所も、自分では選べなかった人が「それでも自由になれる」と言っているわけです。説得力の出どころが、そこにあります。
心に残った3つの言葉
本書には27の言葉が収められています。そのなかから、読書会でも紹介した3つを挙げます。どれも本書の見出しになっている言葉です。
① 自由に至る唯一の道は「我々次第でないもの」を軽く見ることである
自由に至る唯一の道は「我々次第でないもの」を軽く見ることである
『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』第1部より
エピクテトスの教えは、全部ここから始まります。世の中のことを「我々次第であるもの」と「我々次第でないもの」の2つに分ける。そして、後者に要求を向けるのをやめる。
「我々次第でないもの」は、たとえば天気、電車の遅延、他人の機嫌、上司の評価、自分の生まれ。どれだけ気にしても、こちらから動かせません。気にする=時間と気力を、動かないものに注ぎ込んでいるということです。
じゃあ「我々次第であるもの」は何かというと、自分の行動と、自分の考え方。とても地味です。わたしの場合は、掃除と洗濯、そして笑うことにしました。もやもやした日ほど、まず手を動かして部屋を片づける。笑う門には福来たる、というやつです。
効くのは、この線引きをその場で口に出すことでした。「これは自分次第じゃないな」と言ってしまうと、不思議とそこで一区切りつきます。
② 人々を不安にするものは、事柄それ自体ではなく、その事柄に関する考え方である
人々を不安にするものは、事柄それ自体ではなく、その事柄に関する考え方である
『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』第2部より
これは『提要』の第5章にある、エピクテトスでもっとも有名な一節です。「人を動揺させるのは出来事ではなく、出来事についての考えである」――のちの心理療法にも影響を与えた考え方だと言われています。
つまり、出来事そのものは、もともとプラスでもマイナスでもない。「困ったこと」にしているのは、こちらの受け取り方だという話です。
わたし自身、仕事で転勤が決まったときは正直へこみました。でも数年たってみると、あの転勤がなければ出会わなかった人や、始めなかった習慣がいくつもあります(そのときの話はこちら)。出来事は同じでも、あとから意味は書き換わる。それなら、書き換わるのを何年も待たずに、いま少しだけ捉え方をずらしてみてもいいわけです。
ただし、ここは誤解しやすいところなので、はっきり書いておきます。
うれしいことは、素直にうれしい・楽しいでいい。そこまで冷静にならなくていいんだ、というのも本書を読んでほっとしたところでした。
③「私は美しい馬を持っている」と言うな
「私は美しい馬を持っている」と言うな
『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』第4部より
これも『提要』にある言葉で、第6章にあたります。原典ではこう続きます。馬が「私は美しい」と誇るなら、まだ我慢できる。けれど君が「私は美しい馬を持っている」と誇るなら、それは馬の手柄を誇っているにすぎない――と。
約2000年前の「美しい馬」は、現代なら何でしょうか。高級車、時計、肩書き、年収、フォロワー数、住んでいる街。どれも持っているだけで、自分そのものではない。持ち物が増えたぶんだけ偉くなったような気になるのは、たぶん昔からの人間のクセなんだと思います。
では誇っていいものは何かというと、エピクテトスの答えは「心の使い方」だけ。物事をどう受け取り、どう振る舞うか。それだけが本当に自分のものだ、という話です。
この3つ目がいちばん耳が痛かったです。ガジェットを買うとうれしくなるタイプなので……。ただ、「持ち物」と「自分」を分けて考えられるようになると、他人と比べる回数がはっきり減りました。お金の使い方について考えたことは『アート・オブ・スペンディング・マネー』の書評にも書いています。
読み終わってから、3つの問いを持ち歩くことにした
読書会で発表するにあたって、本書の内容を3つの問いにまとめてみました。読み終わったいまも、もやもやした日にはこれを自分に投げています。
| 問い | 効きどころ |
|---|---|
| ①コントロールできるのは、どこ? | もやもやの半分は、動かせないものへの要求だと気づける |
| ②その出来事、捉え方を変えられない? | 「困った」を「いい経験になった」に置き換えられるか試す |
| ③本当に自分のものは、何だろう? | 肩書きや持ち物ではなく、心の使い方に目を戻す |
大げさな習慣にしなくていいのがいいところで、頭のなかで一往復させるだけ。それでも、その日の残りの時間の使い方はけっこう変わります。
こんな人に刺さる/刺さらない
刺さると思う人
- 他人の言動や評価に、必要以上にふりまわされていると感じる人
- 変えられないことを、いつまでも考えてしまうクセがある人
- 哲学に興味はあるけれど、原典で何度も挫折してきた人
- 周りと比べて落ち込む回数を減らしたい人
- まんがで入って、気に入ったら原典に進みたい人
たぶん刺さらない人
- すぐ使えるノウハウ・テクニックがほしい人(本書は考え方の本です)
- ストア派の原典を、注釈つきできちんと読みたい人(それなら『提要』の訳本へ)
- まんがが入る本が苦手な人
- いま現在つらい状況にいて、まず環境を変える必要がある人
気をつけたいところ(正直な感想)
良かった点ばかり書いてきたので、引っかかったところも正直に。
- 線引きが、実際にはそんなに簡単ではない:「自分次第かどうか」は、はっきり分かれないことのほうが多いです。仕事の評価などは、半分は自分次第で半分はそうでない
- 誤読すると、ただの我慢の哲学になる:「気の持ちようだ」で片づけると、変えるべき環境まで放置してしまいます
- まんがはあくまで入り口:エピクテトスの言葉そのものの厳しさは、まんがだと少しやわらいで伝わります
- 1冊で人生は変わらない:3つの問いを何度も繰り返して、やっと少しクセになる、くらいの効き方です
逆に言うと、「考え方のクセを少しずつ入れ替えたい」人には、繰り返し開ける良い本だと思います。わたしは机の近くに置いて、たまに開いています。
同じ「悩みを減らす」系だと、『道は開ける』(カーネギー)や禅の「心配事の9割は起こらない」とも、言っていることがかなり近いです。読み比べると、時代も国も違うのに同じ結論にたどり着いていて、それがちょっと面白いところでした。
「聴く」で読む選択肢もあります(Audible版)
調べてみたら、本書にはオーディオブック版もありました。通勤中に聴きたい方向けに、情報をまとめておきます。
| 配信 | Audible(Audible Studios) |
| ナレーター | 藤井剛さん |
| 再生時間 | 3時間13分(完全版) |
| 配信開始 | 2024年3月8日 |
| 聴き放題 | 対象外(単品購入。Audible会員なら非会員価格から30%OFF) |
オーディオブックそのものが気になる方は、Audibleの魅力と注意点と読書時間を作る5つの方法もどうぞ。読み上げ機能や図書館など、0円で試せる方法から順番に紹介しています。
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よくある質問
哲学の知識がなくても読めますか?
読めます。わたしも予備知識ゼロで読みました。まんがで場面が示されてから解説が入る作りなので、哲学用語をおぼえなくても最後までいけます。むしろ「哲学書で挫折した経験がある人」向けに作られた本だと思います。
『自省録』(マルクス・アウレリウス)とどちらを先に読むべき?
同じストア派で、マルクス・アウレリウスはエピクテトスから強い影響を受けた人です。読む順番としては、まんが入りの本書が先のほうがラクだと思います。『自省録』は皇帝の個人的な手記なので、前提を知ってから読むほうが入りやすいです。ちなみに本書の解説者・荻野弘之さんは『自省録』の解説書も書いています。
電子書籍はありますか?
あります。Kindle、楽天Kobo、honto、紀伊國屋書店Kinoppy、Google Play、Apple Books などで配信されています。まんがのコマがあるので、スマホよりはタブレットかPCのほうが読みやすいと思います。
気に入ったら、次は何を読めばいい?
本書の巻末に『提要』の原文訳がまとまっているので、まずはそこを読み返すのがいちばん手軽です。「エピクテトスを知りたい人のための読書案内」というページも用意されているので、そこから次の1冊を選ぶこともできます。『提要』自体が短い本なので、訳本を1冊買っても負担にはなりません。
読書会で紹介する本としてはどうですか?
向いていると思います。言葉が短く、1つ取り上げるだけで話が広がるからです。わたしはリベシティの読書会で、3つの言葉と3つの問いだけに絞って発表しました。全部を紹介しようとすると27個あって収まらないので、刺さったものを数本選ぶのがおすすめです。
まとめ:手放すほうを決めると、心が軽くなる
本書を読んで一番大きかったのは、「何を頑張るか」より先に「何を手放すか」を決めていいと分かったことでした。
自分ではどうにもならないことに気力を注ぐのをやめる。その代わり、自分の行動と考え方だけに集中する。約2000年前に、身分も体も自由にならなかった人がたどり着いた結論が、いまの会社員の毎日にそのまま使えるというのが、読んでいて一番おどろいたところです。
まんがで読めて248ページ。哲学の入り口としては、かなり親切な一冊でした。「変えられないことで消耗している」自覚がある方に、おすすめします。
そして最後に、本書の3つの問いをもう一度。①コントロールできるのは、どこ? ②その出来事、捉え方を変えられない? ③本当に自分のものは、何だろう?――「よく生きる」は、心の使い方から。

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