「転勤なんて、ただ場所が変わるだけだろうか?」
そう思っていた私が、工場への転勤を真正面から受け止めたのは、東洋の古典との出会いがきっかけでした。
私は本社勤務のサラリーマンでしたが、ある日、地方の工場へ行かないかと声をかけられました。最初は不便で、メリットが見えない選択肢だと感じていました。
しかし、安岡正篤先生が紹介する王陽明の思想――**「立処皆真(どこにいても真理がある)」――**に触れたことで、私は考え方を根本から変えました。
この記事では、私がどうして転勤を決断したのか、その背景にある思想と実体験を振り返りながら、環境の変化がもたらす意味について考えてみたいと思います。
話の経緯
入社以来、私は本社で仕事をさせてもらっていましたが、
あることから工場に行ってみないかという話がありました。
期間限定で工場と本社で人事交流を行い、工場強化にもつなげたい(工場には地元出身者が多くてマンネリ化?していたと見なされ上層部が対策に乗り出しました)
工場は地方の山に囲まれた何もない場所に作られており、基本的に東京からの視点だといまより田舎で不便なので、自分自身のことを考えるとマイナスにしか考えられなくて、行こうとする人は居ませんでした。
私にもその話はありまして、一旦、よく考えることにしました。
自分について考える
ここで、安岡正篤 先生が書かれていた王陽明のことを思い出します。
王陽明の話
安岡先生の書籍に王陽明についてのものがあります。
この方はいろんな逸話がありますが、その中でも
王陽明先生が竜場という僻地に流されて大変な目にあったけれども、
そこで「良知」を悟ったとあります。
良知とは自分の内側に内在する道徳知のことで、
意識の深層(無意識層)は父母・先祖代々の体験と真理とつながっており、徹底的に思案すると真理に到達するということ。
それから陽明先生は「知行合一」を説いた。とあります。
ここでいう知とは良知のことです。
つまりですね、
随所に主となれば立つところ皆真 : 立処皆真。
いかなる境地においても何らかの真理がある、意義があるということです。
なんだか難しい話になってしまいましたが、
いまより厳しい環境は自分にとって大変なのは明らかだが、成長するきっかけにもなったのではないか(歴史上、そういう事例がある)
ということです。
今回、自分のことでいうと本社から工場にいくことで、成長するきっかけになるのではないか。
人生の中でいうと一つの転機だなと思いました。
それに、そろそろ転職したいと思っていたので、ちょうどタイミングとしてよかったのもあります。
というわけで、工場の転勤を決めました。
それは、いまも続いているのですが。
いろんな環境でやってみないと、広い視野を持てませんし、自分の成長につながったと実感しております。
まとめ

工場に転勤することによって、失ったものもあるかもしれませんが、その代わりに得たものは大きかったと考えています。
昔の古典や歴史に触れることで新たな知見が得られました。
逆に言うと、本を読む前に選択しているとまた違う結果になっているはずです。昔の古典や歴史から得るものは大きいです。
とにかき、転勤、環境を変えることから、成長するきっかけ、新たな視点を得ることが出来たと考えております。
あとは、安岡先生の書籍を色々と読ませてもらって、広い視野を得ることが出来たような気がします。
人生の岐路、分岐点は数多くあると思われます。そういうときに、楽な方、楽な方ばかりに流れるのではなく、長い人生のことを考えて前向きな方に考えることも必要ではないでしょうか。
別件:ゆかりの地
その該当の本を思い出して読み返していると、安岡先生のゆかりの地を、いつかは巡ってみたいものです。
安岡先生が酔古堂剣掃で言及されておられる
山形県、赤湯にある 結城豊太郎さん記念館には一度足を運んだことがあります。
この方は戦前に日本銀行の総裁やら大蔵大臣などを歴任されたようです。
そこで、少しでも安岡先生の雰囲気を感じられてよかったです。
また、江戸時代のときは各藩に藩校が作られて論語など勉強されていたという認識です。藩校には儒教から取られてそうな立派な名前がついていることも多く、そういう地も巡ってみたいものです。
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。なにかの参考に慣れば幸いです。
それではまた🐧


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