こんにちは
私はつい忘れがちなのですが、資格やテストの点数が良いとき人に話をしたり自慢したくなりますが、
学問はそういうものではないと戒めがあります。
呻吟語から引用させていただきます。
才能、学識をひけらかさない
才能や学識がなければ君子として恥ずべきことだが、これらが備わっているとしても一概に喜ぶべきことではない。
才能学識を持つことは難しいことではないが、それを自分のものとして使いこなすのは難しい。君子がこれを尊ぶのは精進のためであって、驕り高ぶるためではない。世の中を善くするためであり、人にひけらかすためのものでもない。
(「才」という字は副詞で「わずかに」という意味である。能力というものは非常に大事なものだが、有するだけではわずかなものにすぎない。その使い方が問題なのだ)
心に響く呻吟語 呂新吾著 祐木亜子訳
資格の勉強をしたり、仕事につかう分野を勉強してスキルを身につけたりとか
そういうことも必要なので例外はあるとは思いますが、
人に自慢したり、人に認めてもらいたいとか、出世の道具とか、本来はそういうことではない。
これは油断すると忘れがちなことと思いました。
つい人に自慢したくなったりしてしまうのですが、そういうことをしないように心がけていきたいものです。
他にも似たような言葉として
論語にも
「古の学ぶ者は己の為にす。今の学ぶ者は人の為にす」(論語、憲問篇)
とあります。
本来、学問とは、そういうテストの点数とか、人を評価するためのものではないですから。
人に知ってもらうためのもの、出世のためのものではないということ。
荀子(性悪説で有名)にも似たようなことが書かれてありまして
「学ぶことによって、何が禍い幸いであり、どう終わってどう始まるか、それらを知って惑わないため」(禍福終始を知って惑わず)
とあります。
世の中の仕組みを知って、どのような原因から結果が生まれていくのか、物事や出来事について惑うことが無くなっていく、そんな境地になりたいものです。
とはいえ、現実的にそうはなっていなくて
○○さんは△△が出来て凄い!素晴らしい!という話は聞きますが、
一方で、あの人はよく出来ている人物だとか、徳があるとかそういう話は乏しいです。
なかなか計る目安も難しいので、みなさんあまり口にはしないのでしょうが、
そういう評価ってもっともっとされてもいいのかもしれませんね。
まとめ
呻吟語から気になった言葉から思うところを書いてみました。
才能や学識(スキルや資格)をあまりひけらかさない、自慢しないというのは
つい忘れがちで案外難しいことのように思います。
自己アピールとして、最近はどんどん書くような流れではあり、それも必要とは思いますが
学問の本欄の意義を忘れないように気をつけていきたいですね。
それではまた🐧
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