- 人生に疲れた
- 仕事、勉強がつらい
そういったことありませんか?
対処は難しいですが、その中の一つとして古典を読むことをオススメします。
みなさん、こんにちは! Nくまです。
今回は辛いと感じたときに、このようにしたら気持ちが楽になるという私の体験談、考え方になります。
仕事で辛いとき
いま考えると過去のことですが仕事で辛いと感じたこと
ちょっとした体験談を書きたいと思います。同じような状況の方に参考になれば幸いです。
仕事をしている中での出来事
会社勤めしていると、 上司から色々とヒドいことを言われることもあります(ここに書けないくらいの悪口を延々と・・・)。自分が悪いときもあるのですが、日程を守れなかったり、プレッシャーでなんとかしようという感じがします。
中学、高校ではバレーボールという運動部だったので、先生やコーチから罵倒というか叱咤激励、しごき的なものはよくありました。
そのときは、似たようながあるもんだと思っていましたが
締切りを守れず、毎日のように色々と怒られる日々が続くと、気に当てられると言うんですかね。
残業することも重なって体調的にも精神的にも悪くなっていきました。
安岡先生の書籍には、人の息には色があるらしいですが、日々怒られてくると気に当てられるといいますか嫌な気持ちになるものです。
なんでこうなるのかなと色々と考えていましたが、次の古典の言葉に救われました。
私のような人間が書くにはおこがましい気がしてしまいますが、以下に書いてみます。
古典の言葉
例えば、儒教にはこういう言葉があります。
中庸から
「われはなんじの耀かしい徳を心にとめている。なんじはよく徳につとめ声をはりあげたり顔色をきびしくしたりして外の威厳につとめることはしない」
「口に出したり容貌にあらわしたりして外の威厳につとめることをするのは民衆教化のうえでは末のことだ、根本的なことではない」
大学から
「徳は本なり、財は末なり:君子はまず何よりも自分の徳の充実に気をつけるのである。自分の徳が充実してくると自然に民衆が帰服してくる。民衆が帰服してくると自然に国土が保持できる。国土が保持できるとそこで財物も豊かになる」
「楚の国ではとくに財宝というべきものはない。ただ善人こそが宝だと考える」
「亡命のお方にはとくに財宝というべきものはない。仁徳のある近親者こそが宝だと考える」
(岩波文庫「大学・中庸」金谷治訳注)
「利益ばかりにもたれて行動していると、怨まれることが多い」(里仁第四)
「君子は正義に明るく、小人は利益に明るい」(里仁第四)
(岩波文庫「論語」金谷治訳注)
大学・中庸も論語と同じく中国の古い書物ですが、日本でも江戸時代には儒教の教科書として読まれていたものになります。論語は今でも有名ですね。
人に対して叱ったり怒ったりすることも時には必要なのでしょうが、それは根本的なことでは無いと言ってくれています。自分の中の違和感がスッキリしました。大事なのはそこではないと感じていたためです。
また、なんでその人が怒っているのか、なんとなく分かってきた気がします。
うまくいかない場合のことが怖かったり、その人のさらに上司からストレスにさらされるとそうなるんでしょうね。また、売上や利益のことを第一に考えている気がするのですが、あまりにもそれを重視すぎると怨みが出てきてしまうと言われています。また、古典ではよく出てきますが利益、金銭は枝葉末節のことで本当に大事なことは義や誠、どういう人生を送るべきか、そこなのですね。
その辺の古典の言葉を知って心が軽くなりました。 怒っている人とか見ると、そういう売上、利益、地位などに囚われているのだと。そういうふうに見ると違った景色が見えてきます。
自分のために勉強
少し話が変わりまして、よくうちのお婆さんにも言われてたことだけど
「死ぬまで勉強だよ」
ということで、社会人になっても勉強することの重要性を感じました。
学校の勉強って試験勉強が多くて、
こういうことは学校とかでは習わないけど、もっと哲学的なことや、精神的に成長するようなこともやったほうがいいのではと思いました。
それに、社会人になっても勉強は続けていった方が自分自身の得になりますね。
また、そういうことってあまり回りの人から教えてもらえなかったので回りの人に教えていければいいなと思います。
論語にも「古の学ぶ者は己の為にす。今の学ぶ者は人の為にす」
とあるように、自分の成長のためであって、お金稼ぎをするためとか、人に自慢するものではないとのこと。そこについは注意していきたいものです。
このことがきっかけで、安岡正篤先生の本を貪るように読んだり、それに関連する古典や歴史、名言などを読むようになりました。真剣になればなるほど、そのような本じゃないと満足できないことが分かります。 これが私にとって大きな糧になりました。
疲れたときとか、人生が嫌になった時、古典を読んでみるのは如何でしょうか。
まとめ
結局のところ、それから、古典をよく読んだり、運動したりすることで立ち直った私は、このことをしっかりと学んでまた同じ場所に行くまいと固く誓ったのでした。
普通は学校の授業とか、あまり触れる機会がないので、なんでそういう古典を知ったのかというとですね。
もともとは安岡正篤先生を知るきっかけがありまして(細木数子先生の占いの本を読んで)
それから、安岡先生の講義集や、岩波文庫にある「大学・中庸」、「論語」、「荀子」などを購入、読むことで色々と知ることが出来ました。すべてを読破しているわけではないのですが、主に儒教の経典が大変勉強になりました。
自分を外から眺めるように、いまの出来事は道理から外れているかとか、冷静に物事について捉えるようになれれば随分と違うと思います。
あとは無理せず休んだりするとか、就職先を変えるとかそういうことも冷静に考えられるようになってくるのではないかと思います。疲れてたりストレスが溜まっていると冷静な判断が出来ないですからね!
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。
それではまた🐧
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